あのね

日々思ふことあれこれ

親友と会いたい


もう40年も前になりますねえ


大学2年か3年、一番仲の良かった友達がいました。


彼女は遠くから大学のために上京して一人暮らしでした。


ある日彼女は、素敵な人と出会ってる、とても優しく良い人で話が楽しいと、


聖書の話を面白く解説してくれてビデオを見に行くんだと。



良かったら一緒に来ない?と誘ってくれたのは嬉しかったです。


だって彼女は一番の友達でしたし、彼女がいなかったら大学で一人になってしまうもん。



そして彼女は続けました、


すっごく面白く解説してくれるのよ、新約聖書を。


まだ数日なんだけど次の話が楽しみで仕方ないの。


だけどね、統一教会っていうんだ、宗教なんだ、


つきと一緒だと嬉しいけど、多分つきものめり込んじゃうから、自分で判断してと。



「すごく良いひと」に嫉妬も感じたし、彼女との繋がりももっと親しくなれるし


聖書の内容も気になりました。



でも私はのめり込む人なんです。中学の時に郷ひろみに夢中になり追っかけして


一日がすべて郷ひろみになってしまっていたことを思い出しました。


断れば彼女との仲を失うかもしれないと悩みました。大切な友達。



その日はもう遅く、実家住まいの私はビデオを見に行く時間がないので帰りました。



彼女はその年、留年してしまいました。


学年が変わってしまい、彼女には新しい友達もできたようで、寂しかったです。


お互いの卒業を祝ったりしましたが、親しいかといえばそうでもなかった。


彼女は地方都市で仕事をしながら一人暮らしをしていました。


彼氏もできたし楽しそうでした。


教会からは足を洗ったとも聞きました。



ある日突然電話が来て、50万貸して欲しいと言われました。


彼女の仕事はいわゆる高給の職業で、


でもだからこそ余計に理由を聞けませんでした。


そのころの私は結婚したばかりで無給の専業主婦だったので50万はきつかったです。


本当に申し訳ないと思いながら5万円だけ送りました。


50万必要なのに5万では何の足しにもならないでしょう。


今の今まで50万を貸さなかったことを後悔しています。本当は貯金があったのだから。


そのことが負い目で彼女と対等に付き合いが続けられなかったです。


貸していれば、それこそ親しく今も連絡を取り合えていたかも知れない。


ずーっとずーっと後悔です、忘れられません。


けど、


今思います。あのお金は寄付の為?韓国に行く為? だったの?



ねえ、

勝手につぶやき


50肩とお医者様は言うけど、63歳の私はどうしても言えず60肩と言ってしまいます。


安静にと言われて安静にしすぎて、肩が固まって、、、しゃれじゃないんだけど。


最近漸く快方に向かってる感じ


ある程度は腕も上がるようになったし、髪の毛も結べるようになった。


背中は掻けないし、パンツ履くのもつらいけど。


朝に夕にストレッチなのだわん。



あれは3年続いた離婚調停がやっと終わりに近づいたころの話


体調悪くて、でも調停の精神的負担が大きいせいだとばかり思っていたんだけど


検診で血糖値が異常に高く、、、


結局Ⅰ型糖尿病と診断され、


一難去ってまた一難⤵ と思った矢先


次の一難がこの60肩だ。



そりゃあ、自分でも泣きっ面に蜂か~と思ったけど、



算命学を勉強中の友人は、お金目当てで調停を戦ってると思っていたから


その報いだと言わんばかりでした。


その友人は大切な人だけど、そう思われることが悲しかった。


例えばこのブログを読んだ人に同じように思われても、そこまで悲しさはないと思う。


その友人にそう思われたことが悲しくて辛い。


そもそも、彼女を私が友人と思わなければ、彼女は私に悲しく辛い思いをさせた人、


とはならなくて済んだのに。


私が友人と勝手に決めちゃったから、こんなことになるのか?


友人っていったい何さ



でも、だから、腕ぐるぐる回せるようになるまでしっかり治りたいんだなあ

ありがとう、見てくれて


ブログ1個でniceとか読者になってくれたりとか、


まさかこんな早い段階で反応があるとは! びっくりしてます。


初めて公開するのに勇気が必要でした。


が、1個出したくらいで誰の目にも付くこともないから、エイ!って




見に来てくださった方、ありがとうございます。


まだブログの機能がよく分かっていず手こずっておりますが、失礼m(_ _)m



友達いなくて、作るのも怖くて、話すのは買い物のレジの方と「ありがと」を


交わすだけだったけど、お友達ができたような気分。


幸せ気分です。